

「口を開けると耳が痛い、片方だけ」という訴えでは、顎関節や咀嚼筋に由来する痛みが重要な鑑別候補になります。ただし、開口時に痛むという情報だけで顎関節症と診断することはできません。耳そのものに病変がある一次性耳痛と、歯、顎関節、咽頭などの病変を耳の痛みとして感じる二次性耳痛を分けて考える必要があります。
参考)Otalgia - Otolaryngology - MSD…
顎関節は耳の前方に位置し、開閉口や咀嚼に伴って動きます。顎関節症では、関節そのもの、あるいは顎の運動に関与する筋に痛みが生じ、患者が「耳の奥が痛い」「耳の前が痛い」と表現することがあります。顎運動で痛みが増強すること、顎関節や咀嚼筋の触診で痛みが確認されることは、痛みの発生源を考える手がかりです。
参考)https://www.racgp.org.au/afp/2016/july/otalgia
耳の感覚には三叉神経、舌咽神経、迷走神経などが関与し、これらの神経は耳以外の頭頸部にも分布しています。そのため、歯や歯肉、顎関節、扁桃、咽頭、喉頭などの病変による痛みが、耳の痛みとして知覚される場合があります。このような関連痛では、患者が耳を指していても外耳道や鼓膜に明らかな異常を認めないことがあります。
一方、外耳炎でも耳介の牽引や開口・咀嚼に伴って痛みが増すことがあり、顎の動作との関連だけでは十分に区別できません。耳のかゆみ、耳漏、耳掃除や水泳の既往、耳介牽引痛、外耳道の発赤・腫脹などを確認し、耳鏡所見と合わせて判断します。片側性という特徴は痛みの局在を示しますが、それ自体で原因や重症度を決めるものではありません。
鑑別の最初の分岐点は、耳の診察で痛みを説明できる所見があるかどうかです。外耳道炎や中耳炎を示唆する所見があれば耳原性の痛みを検討し、耳の所見が正常、または訴えを十分に説明できない場合には、歯科・口腔領域と頭頸部の評価へ進みます。耳鏡所見が正常だからといって、病変が存在しないと判断してはいけません。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 顎関節症・咀嚼筋由来の痛み | 開口や咀嚼で増悪する耳前部痛、顎関節・咀嚼筋の圧痛、顎運動の異常など | 耳の診察に異常がない場合もある。関節音だけで原因を確定しない。 |
| 外耳炎 | 耳介牽引痛、外耳道の発赤・腫脹、かゆみ、耳漏、水曝露や耳掃除の既往 | 外耳道の腫脹により鼓膜が観察できない場合がある。 |
| 急性中耳炎などの中耳疾患 | 鼓膜膨隆、中耳貯留液、難聴、上気道感染症状など | 鼓膜の赤みだけでなく、膨隆や貯留液などを評価する。 |
| 歯・歯周組織由来の関連痛 | 歯痛、歯科治療歴、後方歯を含む歯・歯肉の炎症や感染所見 | 歯原性疾患は関連耳痛の重要な原因であり、歯科評価が必要となる。 |
| 扁桃炎・扁桃周囲膿瘍 | 嚥下痛、咽頭発赤、扁桃周囲の腫脹、開口障害など | 耳の所見が正常でも咽頭の感染が耳痛を生じさせる。 |
| 神経痛 | 突然発症する、短時間の非常に強い鋭い痛み | 持続する鈍痛とは異なる疼痛パターンを確認する。 |
| 頭頸部腫瘍 | 原因不明の持続性耳痛、嚥下痛、嗄声、体重減少、頸部腫瘤など | 耳鏡所見が正常でも除外できず、耳鼻咽喉科での精査を検討する。 |
例えば、片側の開口時耳痛に耳前部の圧痛があり、外耳道と鼓膜に異常がなく、咀嚼でも痛みが増す場合には顎関節・咀嚼筋由来の痛みを考えます。一方、同じ開口時耳痛でも耳漏と耳介牽引痛があり、外耳道に発赤・腫脹を認める場合は外耳炎を支持します。このように、動作による誘発と局所所見を組み合わせることが重要です。
また、顎関節周囲の圧痛があることだけで他疾患の評価を打ち切らない姿勢が必要です。原因不明の耳痛が持続する場合や、想定した疾患の治療で改善しない場合には診断を再検討します。特に嚥下障害、嗄声、頸部リンパ節腫大などを伴う症例では、口腔・咽頭・喉頭を含む評価が求められます。
問診では「耳が痛い」という表現をそのまま病変の位置と結び付けず、患者に痛む場所を指してもらい、耳前部、外耳道入口、耳の深部、耳後部などに整理します。発症時期、持続時間、増悪動作、随伴症状を確認すると、耳原性か関連痛かを考える手がかりになります。
身体診察では、体温などの全身状態に加え、耳介と耳前部・耳後部を観察します。耳介を穏やかに牽引して疼痛の変化を確認し、耳鏡で外耳道の発赤、腫脹、分泌物、異物、皮膚病変を評価します。鼓膜については穿孔や膨隆、中耳貯留液を示唆する所見を確認します。腫脹や耳漏で鼓膜が見えない場合は、単に「鼓膜正常」と記録せず、観察できた範囲と限界を明示します。
顎の診察では開閉口の動き、開口障害、関節音、顎関節の圧痛、咀嚼筋の圧痛などを確認します。同時に歯、歯肉、舌、口腔粘膜、扁桃、咽頭を観察し、頸部腫瘤やリンパ節腫大の有無を調べます。耳に異常が見つからない症例ほど、耳以外の診察を省略しないことが大切です。
検査は疑う病態に合わせて選択します。難聴を伴う場合には聴力評価を検討し、原因不明の持続性耳痛や頭頸部腫瘍が疑われる場合には、耳鼻咽喉科での内視鏡検査や必要な画像検査につなげます。すべての開口時耳痛に一律にCTやMRIを実施するのではなく、問診と診察で評価対象を絞ることが基本です。
危険徴候を伴う耳痛では、顎関節症を想定した経過観察よりも、重症感染や頭頸部病変の評価を優先します。糖尿病や免疫抑制状態の患者に強い耳痛、特に夜間痛や外耳道病変がある場合には、壊死性外耳炎を考慮します。これは以前「悪性外耳道炎」と呼ばれていた重症感染であり、名称の「悪性」は悪性腫瘍を意味するものではありません。
耳後部の発赤・腫脹、圧痛、耳介の突出などがある場合には、乳様突起炎を含む中耳炎の合併症を評価します。また、耳痛に顔面神経麻痺や耳介・外耳道の水疱を伴う場合には、耳帯状疱疹なども鑑別に挙がります。こうした所見があれば、通常の顎関節症診療として扱わず、速やかに耳鼻咽喉科で評価する必要があります。
強い嚥下痛、扁桃周囲の腫脹、開口障害を伴う場合には扁桃周囲膿瘍などを考えます。とくに呼吸困難を伴う場合は、通常の外来予約ではなく緊急評価が必要です。耳痛の強さだけでは重症度を判断できないため、呼吸、嚥下、全身状態を含めた評価が欠かせません。
片側の耳痛が持続し、耳鏡所見が正常な症例では、頭頸部腫瘍を含む関連痛の原因検索を検討します。嚥下痛、嚥下障害、嗄声、体重減少、頸部腫瘤、喫煙・飲酒歴などは精査の必要性を高める情報です。ただし、危険因子や随伴症状がないことだけで腫瘍を完全に否定できるわけではなく、原因不明の持続痛自体も専門医紹介を考える理由になります。
受診先は「耳が痛いから耳鼻咽喉科」「口を開けると痛いから歯科」と機械的に決めず、主な所見に基づいて案内します。耳漏、難聴、外耳道・鼓膜異常、原因不明の持続性耳痛では耳鼻咽喉科が中心になります。歯・歯肉の異常や顎関節・咀嚼筋由来の痛みが疑われる場合には、歯科または歯科口腔外科の評価を検討します。急な難聴も見逃すべきではない随伴症状であり、早期の専門評価が必要です。
治療は耳痛という症状だけでなく、その原因に対して行います。顎関節症が疑われる場合も、感染、歯科疾患、腫瘍などの鑑別を踏まえて治療方針を決めます。日本顎関節学会は「顎関節症初期治療診療ガイドライン2023改訂版」を公開しており、初期治療を検討する際には病態と推奨の強さを確認することが重要です。
顎関節症の初期対応では、痛みを誘発する硬い食品や過度の咀嚼を避けるなどの負担軽減を検討し、症状と診断に応じて保存的治療を組み立てます。自己開口訓練やスタビリゼーション口腔内装置は治療の選択肢ですが、成人の筋痛・関節痛に対する推奨は弱く、エビデンスの確実性も非常に低いとされています。すべての患者に同じ訓練や装置を一律に勧めるのではなく、適応と実施方法を個別に判断します。
患者には「顎を動かすと痛むため顎関節や筋肉の関与を考えていますが、耳や歯、喉の病気も確認します」と説明すると、診察の目的が伝わりやすくなります。強い痛みや開口障害がある段階で、自己判断による無理な開口訓練を始めさせることは避け、診断と指導に基づいて実施する必要があります。また、症状改善を目的とした歯の削合などの咬合調整は推奨されていません。
外耳炎では、耳の状態に応じた局所治療などを行います。経口抗菌薬がすべての外耳炎に必要なわけではなく、耳介への感染波及や免疫抑制状態などを踏まえて判断します。患者には耳をいじらないこと、耳を乾燥した状態に保つこと、医師の指示なしに耳の洗浄を行わないことを説明します。顎の痛みと思って受診した場合でも、外耳道病変があれば対応は異なります。
疼痛管理にはアセトアミノフェンや非ステロイド性抗炎症薬などが用いられますが、鎮痛だけで原因検索を終えないことが大切です。歯原性疾患が疑われる場合には歯科的な評価と治療につなげ、耳鼻咽喉科領域の疾患が疑われる場合にはその病態に応じた治療を行います。想定した経過で改善しない場合は、診断を見直す必要があります。
再診時には、痛みの程度だけでなく、食事や会話への影響、開口の状態、難聴、耳漏、嚥下症状などの変化を確認します。「顎関節症らしい」という初期判断に固執せず、症状が持続・悪化した場合や新しい症状が加わった場合には、耳鼻咽喉科と歯科・歯科口腔外科が連携して評価を進めます。片側の開口時耳痛を安全に診療するには、局所所見と関連痛の両方を追う姿勢が重要です。