

認知症の家族について「わがままばかりで疲れた」と相談されたとき、医療従事者が最初に行うべきことは、家族を説得することではなく、何が起きているかを具体的に把握することです。本人の行動には病態や環境が関係する一方、介護者の生活にも独立した支援ニーズがあります。本人へのケアと介護者への支援を並行して考える視点が重要です。
参考)https://dementia-japan.org/wp-content/uploads/2025/06/guideline.pdf
「病気だから仕方ありません」「もっと優しく接してください」という説明だけでは、毎晩起こされる苦痛や、繰り返し責められるつらさに対応できません。まず「どのような場面が一番つらいですか」「夜は眠れていますか」「代わってくれる人はいますか」と尋ねます。厚生労働省が公開する家族介護者支援マニュアルも、介護者を単なる介護力として扱うのではなく、その人自身の生活や人生を支援することを重視しています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001236476.pdf
家族が使う「わがまま」は、医学的な診断名ではありません。入浴を拒む、同じ要求を繰り返す、大声で怒る、物を盗まれたと訴えるなど、異なる現象をまとめて表現している場合があります。診療録や申し送りでは、この言葉をそのまま評価として残すのではなく、「夕食後に帰宅を求め、玄関に向かう」「着替えの介助時に手を払いのける」といった観察可能な行動へ置き換えると、誘因や対応の効果を検討しやすくなります。
認知症に伴う行動・心理症状は、BPSDと呼ばれます。幻覚、妄想、興奮、不安、抑うつ、睡眠障害などが含まれ、その発現には脳病変だけでなく、生活環境、対人関係、本人の性格など多様な要因が関係します。ただし、本人の希望や介護への拒否をすべてBPSDとみなしてはいけません。本人が何を嫌がり、何を望んでいるかを確かめる姿勢と、症状の評価を両立させる必要があります。
例えば、入浴拒否を「頑固になった」と解釈する前に、体を動かすと痛い、浴室が寒い、介助の説明が伝わっていないといった可能性を検討します。これは家族の対応が悪いと決めつける作業ではありません。責任の所在を探すのではなく、本人と家族の双方が少し楽になる条件を探すための評価です。BPSDへの対応では、身体的原因を確認し、誘因や環境要因を家族・介護スタッフとともに改善することが基本になります。
「最近わがままが強くなった」という訴えでは、いつから、どの程度、どのように変わったかを確認します。以前からの行動なのか、急に出現したのかで評価の優先順位は変わります。BPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン第3版は、せん妄の除外とともに、感染症、脱水、痛み、便秘、視覚・聴覚障害、薬剤の影響などを確認するよう示しています。認知症があるという理由だけで、変化を病気の進行と判断しないことが大切です。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 行動の経過 | 開始時期、普段との差、時間帯、頻度、持続時間を確認する | 急な変化では、せん妄や身体疾患の評価を優先する |
| 身体的不快 | 痛み、便秘、排泄の問題、食事・水分摂取の変化を確認する | 本人の訴えだけでなく、表情や動作の変化も観察する |
| 感覚と環境 | 見えにくさ、聞こえにくさ、周囲の刺激や介助場面を確認する | 本人が状況を理解しやすい環境へ調整する |
| 薬剤の影響 | 新規処方、増減量、服薬状況、市販薬を含む使用薬を確認する | 自己判断の中止ではなく、医師・薬剤師と評価する |
| 安全への影響 | 本人・他者への危害、強い苦痛、介護継続の困難さを確認する | 緊急性が高い場合は専門医療機関との連携を検討する |
この表は診断基準ではなく、ガイドラインの評価項目を実務向けに整理した確認表です。特に、急な反応の変化や興奮では、認知症にせん妄が重なっている可能性を考えます。せん妄の除外や身体疾患の鑑別には診察が必要であり、「認知症だから様子を見てよい」と家族だけに判断させないようにします。
薬剤については、抗認知症薬も含めて見直しの対象になります。ガイドラインでは、第一世代抗ヒスタミン薬、ベンゾジアゼピン系薬剤、抗コリン作用を持つ薬剤などが、BPSD様の症状を引き起こし得る薬剤として挙げられています。処方薬の一覧だけでなく、眠れないときに使う薬や市販薬も聞き取り、変更時期と行動の変化を照合します。薬を減らす場合にも離脱や症状悪化への配慮が必要なため、家族には独断で増減しないよう説明します。
診察につなげる際は、家族が「いつもと違う」と感じた内容を尊重します。「機嫌が悪い」だけで終わらせず、食べた量、飲んだ量、排便、睡眠、転倒の有無、服薬変更などを確認してください。他者に危害を加える可能性が非常に高い妄想や、本人・他者を危険にさらす攻撃性など、緊急性の高い精神症状では、認知症専門医がいる医療機関への紹介が推奨されています。
BPSDへの対応では、病態を把握したうえで、環境調整、ケアの変更、心理的介入などの非薬物的介入を優先します。「正しいことを理解させる」ことだけを目標にせず、本人が不安や苦痛を感じる条件を減らす方針を家族と共有します。次の声かけは、その方針を具体化した実践例であり、すべての人に同じ効果があるわけではありません。
例えば、入浴を拒む人への対応を考える場合、「お風呂に入らないとだめです」と繰り返す前に、介助が始まるどの時点で拒否が起きるかを観察します。浴室に入る前なのか、衣服を脱ぐときなのか、立ち上がるときなのかを分けると、環境への不安、羞恥への配慮、痛みの評価など、検討する課題が具体的になります。本人の反応に合わせて、説明の仕方や実施時間を変更し、その結果を確認します。
「財布を盗まれた」と訴える場面でも、相手の感情を受け止めることと、事実として盗難を認めることは別です。「見つからなくて心配なのですね。一緒に確認しましょう」と伝える方法が考えられます。家族には、毎回うまく対応できなくても自分を責める必要はないと説明し、つらい場面を一人で引き受けない体制を検討します。介護者への支援では、傾聴し、本人の悩みと介護者自身の悩みを分けて把握することが重視されています。
記録は長文である必要はありません。「夕方、テレビの音が大きい場面で怒り始めた」「場所を変えて休むと落ち着いた」など、直前の状況、具体的な行動、対応後の変化を短く残します。診療録に「わがまま」「対応困難」とだけ書くより、次の担当者が試せる情報になります。非薬物的介入も、実施したという事実だけでなく、本人の苦痛と家族の負担がどう変わったかを評価することが重要です。
家族の疲弊が強いと、「薬でおとなしくしてほしい」という相談が出ることがあります。その切実さを否定する必要はありませんが、処方の目標を単なる鎮静に置かないことが大切です。どの症状が本人を苦しめ、どの行動が安全を脅かしているのかを整理し、身体的原因や薬剤の影響、環境調整の余地を評価します。緊急性が高い場合には、非薬物的介入だけに固執せず、専門医との連携を含めた対応を検討します。
第3版ガイドラインでは、アルツハイマー型認知症に伴う焦燥感、易刺激性、興奮に起因する過活動または攻撃的言動に対して、ブレクスピプラゾールが保険適用を有すると記載されています。一方、焦燥感、易刺激性、興奮を認めない歩き回りに対する向精神薬のエビデンスは不十分とされています。「認知症のわがままに効く薬」と一括りに説明せず、診断と標的症状を明確にする必要があります。
抗精神病薬には、死亡、転倒、骨折などのリスクがあり、眠気、ふらつき、過鎮静、歩行障害、嚥下障害などにも注意が必要です。また、レビー小体型認知症では抗精神病薬への過敏性が問題となるため、安易な使用を避けます。症状が減ったように見えても、食事が取れなくなったり、日中の活動性が大きく低下したりしていれば、生活の質を含めて再評価します。
医療チームでは、開始前の状態、期待する効果、副作用の確認方法、再評価の予定を共有してください。家族には「怒りの回数」だけでなく、本人の苦痛、睡眠、食事、歩行、介護負担の変化を聞き取ります。ガイドラインは低用量での開始、継続的な利益・不利益の評価、長期使用を避けること、常に減量・中止を念頭に置くことを示しています。薬の調整は処方医が行い、家族が疲れた日に追加したり、落ち着いた日に急に中止したりしないよう説明します。
「認知症のわがままに疲れた」という検索の背景には、本人への対応方法だけでなく、「もう一人では続けられない」という思いが隠れている場合があります。医療従事者は、介護者の睡眠、心身の健康、仕事、経済面、孤立、介護の継続意向を確認します。家族介護者支援マニュアルも、本人の介護ニーズとは別に、介護者自身の生活に焦点を当てたアセスメントを求めています。
面談では「何か困っていますか」だけでなく、「夜は何回起きていますか」「自分の通院や食事を後回しにしていませんか」「介護から離れられる時間はありますか」と具体的に尋ねます。本人の前では話しにくい内容もあるため、家族の意向を確認し、個別に話せる機会を設けることも検討します。すべての項目を一度に埋めるより、話しやすさと信頼関係を優先し、継続して状況を把握することが大切です。
休息を確保する方法として、通所サービスやショートステイなどを利用し、介護を一時的に代わってもらうレスパイトケアがあります。すでに介護サービスを使っている場合は担当ケアマネジャーへ、相談先が分からない場合は地域包括支援センターへつなぎます。利用できるサービスや受け入れ条件は個別に確認し、「もっと休んでください」という助言だけで終わらせず、休める時間を支援計画に落とし込むことが重要です。
第一三共エスファ:介護する家族へのサポート
例えば、「夜間対応で眠れていない」という相談なら、本人の睡眠障害や身体的原因の評価と、家族の休息確保を同時に進めます。看護師は日々の状態を整理し、医師は診断と治療を検討し、薬剤師は使用薬を確認し、ケアマネジャーや医療ソーシャルワーカーはサービス調整や相談先との連携を担います。役割を分けるだけでなく、誰が連絡し、いつ支援状況を確認するかまで決めると、紹介後の放置を防ぎやすくなります。多職種・多機関による支援は、BPSD対応と家族介護者支援の双方で重視されています。
「手を出してしまいそう」「もう安全に介護できない」という訴えは、通常の相談として先延ばしにせず、安全確保と緊急性の評価につなげます。本人と家族の双方が危険にさらされていないかを確認し、医療機関、地域包括支援センター、自治体などと速やかに連携します。本人の症状を改善することだけでなく、介護者を追い詰めない体制を作ることも支援の目的です。
認知症の拒否や怒りを「わがまま」と決めつけないことと、家族の「疲れた」を軽く扱わないことは、同時に実践できます。医療従事者には、本人の不安や身体的不快を評価しながら、家族の健康と生活も守る役割があります。対応の成否を介護者の忍耐力だけに委ねず、ケアの変更、適切な治療、休息、相談先との連携を組み合わせて、本人と家族が無理なく過ごせる条件を整えていくことが大切です。