

認知症予防運動とは、身体活動を増やし、認知機能の低下や認知症のリスク低減を目指す取り組みです。特定の体操だけを指す医学的な治療名称ではありません。ウォーキングなどの有酸素運動、筋力トレーニング、バランス運動、運動と認知課題を組み合わせる活動などが、実践の選択肢になります。医療従事者が指導する際には、認知機能だけでなく、移動能力や日常生活の自立を支える視点も必要です。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/001194020.pdf
厚生労働省の「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」では、身体活動量が多い人は少ない人と比較して、認知症を含む複数の疾患の発症・罹患リスクが低いことが報告されています。また、高齢者に関する科学的根拠の整理では、有酸素性身体活動が認知機能低下を予防する可能性が示されています。ただし、「身体活動が多い人でリスクが低い」という研究結果と、「特定の運動を実施すれば認知症を確実に防げる」という主張は同じではありません。
研究を読む際は、評価項目を区別してください。認知機能検査の得点、記憶や注意など個別領域の成績、認知症の新規発症、生活機能の維持は、それぞれ異なる結果です。短期間の認知機能検査で改善が認められたとしても、その結果だけで長期的な認知症発症の予防を断定することはできません。患者への説明では、「認知機能や体力の維持に役立つ可能性がある」「発症を必ず防ぐものではない」と、期待と限界を合わせて伝えることが重要です。
国立長寿医療研究センターは、軽度認知障害(MCI)の段階で、運動と認知トレーニングを組み合わせたコグニサイズによる認知機能低下の抑制を報告しています。この知見を紹介するときも、研究対象や実施条件を超えて、すべての人に同じ効果が得られると説明しないようにします。認知症予防運動は、患者の状態に合わせた健康支援の一部として位置づけることが適切です。
参考)認知症予防運動プログラム「コグニサイズ」 | 国立長寿医療研…
厚生労働省:健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023
認知症予防運動を具体化する際は、有酸素運動だけに偏らず、筋力、バランス、柔軟性などを含めた多要素な運動を検討します。厚生労働省の高齢者向け推奨では、歩行または同等以上の強度の身体活動を1日40分以上、多要素な運動を週3日以上、筋力トレーニングを週2~3日行うことが目安です。これらは健康づくり全体の推奨であり、認知症予防だけに特化した確定的な必要量ではありません。
参考)「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」推奨シート…
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 日常の身体活動 | 歩行または同等以上の強度の活動を1日40分以上 | 高齢者の健康づくりの目安。体力や持病に応じて調整する。 |
| 歩数 | 1日の総歩数で約6,000歩以上に相当 | 歩行40分そのものが6,000歩という意味ではなく、生活活動分も含む。 |
| 多要素な運動 | 筋力・バランス・柔軟性などを含めて週3日以上 | 有酸素運動と組み合わせ、身体機能の維持も目指す。 |
| 筋力トレーニング | 週2~3日 | 多要素な運動に含めてよい。負荷や回数は個別に設定する。 |
| 座りっぱなしへの対策 | 長時間連続して座ることを避け、身体を動かす機会を増やす | 立位が難しい人も、安全に可能な動作から取り組む。 |
表の数値は厚生労働省の推奨に基づきます。ガイドでは、40分の歩行を約4,000歩、家事などの生活活動を約2,000歩として、1日の合計を約6,000歩と説明しています。したがって、患者に「運動だけで毎日6,000歩追加してください」と伝えると、必要以上の負担になる場合があります。普段の移動や生活活動を把握したうえで、追加する活動量を考えてください。
ウォーキングは導入しやすい選択肢ですが、歩行能力が低い人に一律の速度や距離を求める必要はありません。筋力トレーニングについても、器具の使用だけでなく、自分の体重を利用する方法があります。運動の種類を選ぶ際は、患者が安全に実施できる動作、利用できる場所、支援者の有無を確認し、個別のプログラムに落とし込みます。複数の運動要素を取り入れる目的は、認知機能への働きかけに加えて、身体機能や生活の自立を支えることです。
推奨量に届かない場合でも、身体活動を行う意義はあります。運動習慣が乏しい患者では、最初から40分を課すのではなく、現在の活動量から少し増やす方針を共有してください。短い時間の活動を積み重ねる方法も、健康づくりの選択肢になります。「目標未達だから効果がない」と受け取られない説明が、継続を支えるうえで大切です。
コグニサイズとは、国立長寿医療研究センターが開発した、運動と認知課題を組み合わせる認知症予防を目的とした取り組みです。名称は認知を意味する「cognition」と運動を意味する「exercise」を組み合わせた造語です。計算やしりとりなどを、足踏みやステップなどの運動と同時に行う点が特徴です。
同センターは、全身を使い、軽く息がはずむ程度の運動負荷と、たまに間違える程度の認知課題の負荷を組み合わせることを示しています。目的は課題を完璧にこなすことではなく、身体の健康を促しながら、脳を使う機会を増やすことです。課題に慣れて負担が小さくなったら内容を変えるという考え方ですが、身体の安定性を犠牲にして難易度を上げる指導は避けてください。
例えば、足踏みが安定している参加者には、まず通常の数唱を組み合わせ、次に特定の数字で拍手するルールを加える段階的な方法が考えられます。この例は指導を具体化するための一案であり、すべての参加者に同じ手順や負荷を適用するものではありません。認知課題を加えた途端に足が止まる、周囲への注意が向かなくなるなどの変化があれば、課題の難しさと実施環境を見直します。
歩行しながら認知課題を行う場合は、転倒への配慮が欠かせません。歩行が不安定な人や身体機能が低下している人では、移動を伴わない運動や座位で可能な活動を検討します。ただし、安全性を優先して変更した活動が、研究で検証されたプログラムと同じ強度や効果を持つとは限りません。患者には「身体を動かしながら頭を使う練習」と説明し、過大な予防効果を約束しないことが大切です。
国立長寿医療研究センター:コグニサイズの概要と指導上の考え方
認知症予防運動の導入では、年齢だけで運動内容を決めず、健康状態、現在の身体活動量、体力、身体機能を確認します。高血圧、2型糖尿病、脂質異常症、変形性膝関節症などがある場合も、状態が落ち着いていれば身体活動を検討できますが、運動で悪化する可能性のある合併症や痛みがあれば、事前に医師などの専門家へ相談する必要があります。
問診では、持病の治療状況、運動時の症状、転倒歴、関節痛、服薬内容などを確認します。厚生労働省のガイドでは、高血圧のある人について血圧管理や脳心血管疾患への配慮、糖尿病のある人について低血糖と合併症の確認が示されています。β遮断薬などの使用で運動時の脈拍が上がりにくい場合もあるため、脈拍数だけを基準に負荷を増やさないことが重要です。
筋力トレーニングでは、呼吸を止めて力まないように指導し、負荷を段階的に調整します。痛みや疲労を無視して回数を達成させるのではなく、個別の目標と休息を設けてください。集団指導でも、同じ回数を全員に課す方法より、それぞれの能力に合わせて実施内容を変えることが推奨されています。運動の効果を得ようとして負荷を急増させることは避けます。
転倒リスクがある患者では、動作の安定性と環境を優先します。特に運動と認知課題を同時に行う場面では、課題の正答よりも安全な動作を重視してください。身体機能が低下している高齢者への転倒配慮は、国内ガイドでも明示されています。見守りの程度や利用する支持物などを個別に検討し、自宅での実施が難しい場合は、専門職の指導下で行う方法を選びます。
安全管理は開始前の確認だけで終わりません。実施中の症状、翌日まで残る痛みや疲労、転倒やヒヤリとした経験を振り返り、必要に応じて量や内容を減らします。運動を増やすことと、無理を続けることは別です。持病の変化や体調不良がある場合には、いったん運動内容を見直し、担当する医療者と対応を共有する運用が必要です。
認知症予防運動を継続してもらうには、患者の生活の中で実行できる計画にすることが重要です。例えば「毎日運動してください」だけでなく、「外出時の歩行時間を少し増やす」「長く座っている合間に可能な体操を行う」など、行動の場面を具体化します。厚生労働省のガイドは、運動だけでなく生活活動を増やすこと、外出や社会参加を身体活動の機会として活用することを勧めています。
実務上の記録方法としては、実施日、活動内容、時間、疲労感、痛み、転倒の有無などを簡単に残す方法が考えられます。これは特定の研究で定められた必須の記録様式ではなく、個別調整をしやすくするための運用例です。次回の面談では記録をもとに、活動量を増やせるか、負担を減らすべきか、別の運動に変更するかを患者と相談します。記録そのものが負担になる場合は、確認項目を絞ってください。
評価では、認知機能検査の数値だけに注目せず、歩行や立ち上がりなどの身体機能、日常生活での動きやすさ、実施の継続状況、安全性も確認します。多要素な運動には身体機能の維持・向上や転倒予防の根拠があり、認知症発症への効果とは区別して説明できます。「買い物に行きやすくなった」「運動を続けられるようになった」といった生活上の変化も、患者と目標を共有する際の材料になります。
認知症のリスク低減は、運動だけで完結するものではありません。WHOが2026年7月に公表した認知機能低下・認知症のリスク低減ガイドライン第2版では、健康的な行動の促進、リスクと関連する健康状態の管理、環境リスクへの対応、個別化した多領域介入を扱っています。医療従事者には、運動を単独の万能策として紹介するのではなく、患者の健康課題を総合的に捉えた支援の一部として組み込む姿勢が求められます。
参考)https://www.who.int/publications/i/item/9789240123557
WHO:認知機能低下・認知症のリスク低減ガイドライン第2版
患者への説明では、認知症予防運動の意義を伝えながら、発症しなかったことを運動だけの成果と断定したり、発症したことを本人の努力不足と捉えたりしないことが大切です。認知症リスクへの対応には複数の領域が関係し、根拠がまだ十分でない領域もあります。無理のない身体活動を増やし、必要な健康管理と組み合わせ、安全に継続できる環境を整えることが、医療現場での現実的な支援になります。