

「漢方授乳中」という検索語で情報を探す患者の疑問は、多くの場合「母乳を続けながら漢方薬を飲めるのか」に集約されます。医療従事者が最初に伝えるべきなのは、漢方薬全体を一括して安全または危険と評価することはできない、という点です。国立成育医療研究センターは、授乳中の薬物治療について、服薬のために必ずしも母乳を諦める必要はなく、授乳のために必ずしも薬をやめる必要もないと説明しています。ただし、この一般原則を個々の漢方製剤の安全性が確認されているという意味に読み替えてはいけません。
参考)授乳と薬について知りたい方へ
同センターによると、多くの薬は母乳中に移行しますが、その量は少なく、乳児に影響する可能性は低いとされています。ここで重要なのは、「母乳に移行する」という事実と「乳児に臨床的な影響を及ぼす」という判断を分けることです。移行の有無だけで授乳中止を指示するのではなく、個々の薬の情報と治療の必要性を踏まえ、主治医と相談しながら方針を決めます。
一方、漢方製剤には複数の生薬が含まれます。例えば、ツムラ麻黄湯エキス顆粒には杏仁、麻黄、桂皮、甘草が配合され、大黄甘草湯には大黄と甘草が配合されています。評価の単位を「漢方」という大分類だけに置くと、乳児への注意が明記された成分や、母体で問題となる副作用、他剤との成分重複を見落としかねません。処方名に加え、製品の組成と使用上の注意を確認する必要があります。
参考)https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/460026_5200132D1035_1_12
患者への説明では、「天然由来だから副作用がない」「西洋薬より必ず安全」という表現を避けます。実際に、麻黄湯や大黄甘草湯の電子添文には、偽アルドステロン症やミオパチーなどの重大な副作用が記載されています。授乳中の漢方薬は、乳児への影響と母体の安全性を分けて評価することが、適切な処方判断の出発点です。
電子添文の「9.6 授乳婦」にある「治療上の有益性及び母乳栄養の有益性を考慮し、授乳の継続又は中止を検討すること」という記載は、直ちに授乳を中止する指示ではありません。国立成育医療研究センターは、この表現に、授乳中でも治療の必要に応じて薬を適切に使用することを検討する意味が含まれると説明しています。授乳婦欄だけを切り取るのではなく、組成、重要な基本的注意、相互作用、副作用も併せて確認します。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 授乳婦欄の基本記載 | 治療の利益と母乳栄養の利益を考慮し、授乳継続または中止を検討する。 | 一律の授乳中止を意味する記載ではない。 |
| 大黄を含む大黄甘草湯 | 大黄中のアントラキノン誘導体が母乳へ移行し、乳児の下痢を起こすことがある。 | 乳児への具体的な注意事項が電子添文に明記されている。 |
| 麻黄を含む麻黄湯 | 母体の不眠、頻脈、動悸、発汗過多などと、交感神経刺激作用を増強する併用薬に注意する。 | 授乳婦欄では、治療と母乳栄養の利益を考慮して判断するよう記載されている。 |
| 甘草を含む製剤 | 低カリウム血症、血圧上昇、浮腫などの偽アルドステロン症に注意する。 | 他の甘草含有製剤やグリチルリチン酸含有製剤との重複も確認する。 |
| 複数の漢方薬の併用 | 処方名が異なっても、同じ生薬が重複していないか組成を確認する。 | 大黄甘草湯では、大黄含有製剤との併用にも特に注意が求められる。 |
大黄甘草湯では、乳児の下痢についての記載を、単なる理論上の母乳移行と同じ扱いにしないことが重要です。授乳中の便秘に対して使用を検討する際は、この注意事項を患者に説明し、薬剤選択や授乳の方針を個別に検討します。また、母親自身に下痢や軟便がある場合は悪化のおそれがあり、大黄の瀉下作用にも個人差があるため、母体の便通と乳児の便の両方を確認する必要があります。
麻黄については、電子添文に記載された母体の有害事象と、母乳を介した乳児への影響を混同しないようにします。麻黄湯では、エフェドリン類含有製剤、ほかの麻黄含有製剤、甲状腺製剤、キサンチン系製剤などとの併用により、不眠、頻脈、動悸、精神興奮などが現れやすくなるとされています。これらは重要な処方上の注意ですが、その記載だけから乳児での発生頻度や安全な授乳間隔まで断定することはできません。
確認した麻黄湯と大黄甘草湯の電子添文には、授乳婦に共通する「服用後何時間あければ安全」という時間基準は示されていません。したがって、根拠を確認せずに「服用後4時間は授乳しない」などの固定的な指導へ置き換えないことが大切です。授乳の一時中断を検討する場合も、対象製剤の情報と母子の状況に基づき、再開の方針まで含めて説明します。
PMDA:ツムラ大黄甘草湯エキス顆粒の電子添文
PMDA:ツムラ麻黄湯エキス顆粒の電子添文
授乳中の漢方薬について相談を受けたら、まず対象となる製品を特定します。「風邪の漢方」「便秘の漢方」という情報だけでは、含有生薬も注意事項も判断できません。麻黄湯と大黄甘草湯の電子添文はいずれも、患者の証、すなわち体質・症状を考慮して投与し、改善が認められなければ継続投与を避けるよう求めています。授乳中であることに加え、そもそもその処方が症状と体調に合っているかを確認する必要があります。
例えば、授乳中の母親が便秘のため大黄甘草湯を服用しており、さらに別の漢方薬も使用している場合、確認すべき点は乳児の下痢だけではありません。両製剤の組成を照合して、大黄や甘草の重複がないかを確認します。大黄甘草湯の電子添文では、甘草含有製剤との併用による偽アルドステロン症やミオパチーに加え、大黄含有製剤との併用にも注意が求められています。
このような相談では、「母乳に影響するか」という問いだけに答えるのではなく、母親の治療効果と副作用も同時に評価します。服用後も症状が改善しない、母体に副作用を疑う変化がある、乳児の便の変化が薬の開始と重なる、といった情報は処方を再検討する材料になります。処方開始時点で再評価の方針を示しておけば、不安だけを理由とした自己中断や、効果がないままの継続を防ぐ説明につながります。
葛根湯のように広く知られた処方でも、「よく使われているから授乳中も無条件に安全」と説明することは避けます。PMDAのツムラ葛根湯エキス顆粒の製品情報ページには、2026年8月25日付の添付文書と改訂指示反映履歴が掲載されています。過去の記事や記憶に基づく説明ではなく、相談時点の製品情報を確認することが重要です。
参考)PMDA 医療用医薬品情報 医療関係者向け
また、麻黄湯の電子添文では、葛根湯、小青竜湯、麻黄附子細辛湯などが麻黄含有製剤として併用注意に挙げられています。患者が「以前処方された漢方を追加で飲んだ」と話した場合、処方名が違うことを理由に成分の重複がないと判断してはいけません。風邪症状への対処として複数製剤を使用していないか、市販薬を含めて確認します。
便秘への使用を考える場合も、「漢方なら授乳中に向いている」という分類ではなく、個々の製剤の注意事項から判断します。大黄甘草湯は便秘症を効能とする一方、大黄による乳児の下痢について明記されています。便秘への有効性が示されていることと、授乳中の個々の母子に適切であることは別の判断です。患者の症状や既往歴、ほかの薬の使用状況を踏まえ、必要に応じて他の治療選択肢も主治医と検討します。
代替薬を検討する際には、国立成育医療研究センターの「授乳中に安全に使用できると考えられる薬」の一覧が情報源になります。ただし、この一覧は相談が多く寄せられた薬剤について研究情報を評価して掲載したもので、すべての薬を網羅する安全・危険の分類表ではありません。掲載されていない薬を直ちに危険と扱ったり、掲載薬なら投与条件を問わず問題ないと扱ったりしないよう、一覧の説明も併せて確認します。
参考)授乳中の薬の使用について
PMDA:ツムラ葛根湯エキス顆粒の製品情報
国立成育医療研究センター:授乳中に安全に使用できると考えられる薬
服薬指導では、最初に「授乳中でも薬が必要になることはあり、薬を使うことと授乳を続けることは必ずしも両立できないわけではない」と伝えます。そのうえで、今回の製剤に固有の注意事項を説明します。大黄甘草湯なら乳児の下痢、麻黄湯なら母体の動悸や不眠、両製剤に含まれる甘草なら浮腫や脱力感など、対象となる薬の情報に沿って説明することで、一般的な不安と実際の観察事項を分けられます。
観察を依頼する際は、「赤ちゃんに異常があれば相談」という曖昧な説明だけで終わらせず、服用前と比べた便の変化などを確認してもらいます。大黄甘草湯では乳児の下痢が注意事項として示されているため、便の回数や状態の変化、服用開始との時間関係は相談時の重要な情報になります。ただし、変化が見られたことだけで原因を薬に断定せず、乳児の状態も含めて医療者が評価する方針を共有します。
母体の経過観察も欠かせません。甘草を含む麻黄湯や大黄甘草湯では、血清カリウム値や血圧値への注意が求められています。浮腫、体重増加、脱力感、四肢の痙攣などが現れた場合は、偽アルドステロン症やミオパチーを含む副作用を検討し、電子添文に沿った対応が必要です。授乳中であるため乳児への説明に関心が集中しても、母体の検査や併用薬確認を省略しないようにします。
授乳の継続・中止に関する説明と、薬の継続・変更に関する説明は分けて行います。国立成育医療研究センターは、薬の使用や中止を自己判断せず、医師と相談して決めることを勧めています。「不安なら母乳をやめる」「心配なら薬をやめる」という二者択一ではなく、治療の必要性、対象製剤の注意事項、母乳栄養の利益を共有しながら方針を決める姿勢が重要です。
判断に迷う場合には、国立成育医療研究センターの授乳中のお薬相談を案内できます。同センターは、出産後で現在授乳中の人を対象に、事前予約による電話またはオンラインの相談を実施しています。相談時には、製品名、使用量、服用期間、併用薬、母子の状況を整理しておくと、個別の評価に必要な情報を伝えやすくなります。医療従事者は、薬剤情報の確認と患者の不安への対応を並行し、必要な治療と授乳を可能な範囲で支えることが求められます。