

「抜け毛が増える時期はいつですか」という質問には、季節性の変動は報告されているものの、全員に共通する月を指定することは難しいと答えるのが適切です。夏から秋にかけて抜け毛を意識する場合がある一方、季節と無関係に起こる休止期脱毛や、進行性の脱毛症もあります。医療従事者が患者説明で重視すべきなのは、季節性を診断の結論ではなく、経過を理解するための一要素として扱うことです。
参考)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
季節変動を検討した代表的な報告として、Kunzらが2009年に発表した研究があります。脱毛を訴える女性について、6年間に蓄積された診療データを後ろ向きに検討し、脱毛の原因となり得る疾患や薬剤の影響がある例を除いた823人を解析しました。毛根を調べて毛周期を評価するトリコグラムでは、休止期毛の割合が夏に最も高く、春にもそれより小さなピークがみられ、冬の終わりに最も低くなるという結果でした。
ここで区別したいのは、「休止期毛の割合が高い時期」と「実際に抜ける毛の本数が最大となる時期」は同じ指標ではないという点です。毛は休止期に入って直ちに抜け落ちるわけではないため、夏の休止期毛の増加は、その後の脱毛を考えるうえで参考になります。しかし、この研究だけを根拠に「日本人は毎年9〜11月に抜け毛が増える」「秋なら通常の何倍まで正常」と断定することはできません。
また、この研究は脱毛を訴えて受診した女性のデータを用いたもので、一般住民を無作為に抽出した調査ではありません。男性、異なる地域や生活環境の人にも同じ程度の変動が生じるかは、この結果だけでは判断できません。患者には「季節による変動はありますが、目に見える薄毛や長引く脱毛があれば、別の原因がないか確認します」と伝えると、過度な安心と不安の両方を避けやすくなります。
毛髪は成長期、退行期、休止期という周期を繰り返します。DermNetの解説では、健康な頭皮では毛包のおよそ85%が成長期、約15%が休止期にあり、少数が退行期にあるとされています。すべての毛が同時に生え替わるわけではなく、それぞれの毛包が異なる段階にあるため、通常は日々の脱毛があっても毛量が大きく変化しません。
参考)Telogen effluvium (hair sheddi…
休止期脱毛では、身体的・心理的な負荷などを契機に、多くの毛包が休止期へ移行します。その後、誘因から二〜四か月ほど経過して抜け毛の増加が目立つようになります。この時間差のため、患者が「今月から抜けるので、今月使い始めたシャンプーが原因ではないか」と考えていても、それ以前の高熱、手術、体重減少などが関連している可能性があります。現在の生活状況だけでなく、発症前の数か月を時系列で確認することが重要です。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 季節性の毛周期変動 | 女性823人の研究で、夏に休止期毛の割合が最大となった | 特定月の脱毛本数や、日本人全体の正常範囲を示すものではない |
| 発熱・手術などの後 | 誘因から二〜四か月後に抜け毛が増えることがある | 発症時点より前の病歴を確認する |
| 出産後 | 数か月後から目立ち、産後約四か月がピークの目安 | 多くは子どもの一歳の誕生日頃までに通常の状態へ回復する |
| 日常的な脱毛 | 一日約100本までが生理的な毛周期に伴って抜けるという目安がある | 本数だけを診断や受診の境界にしない |
| 急性休止期脱毛の経過 | 多くは数か月でピークを迎え、その後六〜九か月ほどの経過で通常の脱毛量へ近づく | 原因の持続や他の脱毛症の併存により経過は異なる |
表に示した時期や本数は、個々の患者にそのまま当てはめる診断基準ではありません。特に産後の脱毛は、エストロゲン低下に伴う一時的な抜け毛の増加として説明されますが、出産した人の脱毛がすべて同じ原因とは限りません。米国皮膚科学会は、産後約四か月を脱毛のピークの目安とし、多くは子どもの一歳の誕生日頃までに通常の毛量へ戻ると説明しています。一年後も回復しない場合は、他の原因を含めた皮膚科での評価が勧められます。
診療では「何本抜けていますか」だけでなく、「いつから」「どの範囲で」「どのように変化しているか」を確認します。休止期脱毛は一般に頭部全体に広がる非瘢痕性の脱毛で、典型例では明らかな炎症や、局所的に毛が完全になくなる所見を伴いません。そのため、限局した脱毛斑や目立つ頭皮症状がある場合は、季節変動や典型的な休止期脱毛以外の原因を考える必要があります。
これらは休止期脱毛の誘因と鑑別を整理するための問診項目です。患者が「秋になると毎年抜ける」と話していても、今回だけ分け目が広がっている、以前より毛量が減っている、脱毛が途切れず続いている場合には、従来の季節変動と同じと決めつけないことが大切です。休止期脱毛をきっかけに、背景にある男性型・女性型の脱毛傾向が目立つこともあります。
局所的に毛が抜ける、頭皮に痛みや強い赤みなどがある、見た目の薄毛が進行する場合は、季節が変わるまで待つより、皮膚科で原因を確認する方が適切です。また、長引く抜け毛では持続する誘因や別の脱毛症の有無を再評価します。受診の必要性を本数だけで判定せず、分布、頭皮所見、経過を合わせて判断する姿勢が重要です。
休止期脱毛の診断は、基本的には病歴と臨床所見を組み合わせて行います。頭皮全体の毛量、毛の太さ、短い再生毛の有無、脱毛の分布を観察し、必要に応じて毛髪牽引試験などを用います。DermNetでは、典型的な休止期脱毛は全体的な毛量低下を示し、局所的な完全脱毛は通常みられず、正常な太さの短い毛が確認されると説明されています。
鑑別では、女性型脱毛症、男性型脱毛症、びまん性の円形脱毛症などを区別します。分け目の拡大や前頭部・頭頂部の毛の細さが目立つ場合は女性型脱毛症を、前頭側頭部の後退などがある場合は男性型脱毛症を検討します。ただし、一つの所見だけで確定できるわけではなく、休止期脱毛とパターン型脱毛症が併存する可能性も考慮します。
採血は、季節性の抜け毛を訴える全員に同じ検査を一律に行うというより、病歴と診察から必要性を判断します。鉄欠乏が疑われる場合の血算や鉄関連指標、甲状腺機能異常が疑われる場合の甲状腺機能検査などが検討対象になります。栄養状態や基礎疾患に応じて、ビタミンB12、葉酸などの評価を考慮する場合もあります。異常が見つかったときは、その是正と脱毛の経過を合わせて確認します。
検査値の解釈では、「低めだから脱毛の原因である」「基準範囲内だから原因ではない」と単純化しないことも必要です。例えば慢性休止期脱毛90人と対照90人を比較した研究では、フェリチンや一部のビタミン、甲状腺機能などに群間差が認められませんでした。少なくとも、休止期脱毛の全例を栄養素不足だけで説明することはできません。検査は臨床的な仮説を確かめる手段として位置づけ、結果と病歴を統合して判断します。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jocd.16512
DermNet:休止期脱毛の原因・診断・鑑別・対応
休止期脱毛が考えられる場合は、「今抜けている毛には、数か月前の身体の変化が反映されていることがあります」と説明すると、誘因と症状の時間差を理解してもらいやすくなります。原因が解消しても、その日に抜け毛が止まるわけではありません。多くの急性例では、脱毛量が数か月でピークに達した後に減少へ向かい、六〜九か月ほどの経過で通常の範囲へ近づきます。ただし、回復が不十分な例もあるため、必ず元通りになると断言することは避けます。
基本的な対応は、誘因の確認と是正、基礎疾患や頭皮疾患の治療、十分な栄養の確保です。極端な食事制限がある場合は食生活を見直し、たんぱく質を含むバランスのよい食事を支援します。鉄欠乏や甲状腺機能異常などが確認された場合は、その異常に対処します。脱毛を訴えたという理由だけで栄養素不足を前提にせず、原因評価に沿って対応することが大切です。
ヘアケアでは、強いブラッシングや過度な頭皮マッサージを避け、毛髪をやさしく扱うよう説明します。頭皮疾患があれば適切に治療し、シャンプーやマッサージだけで毛周期の変化そのものを解決しようとしないことが重要です。産後に毛量が少なく見えることを気にする患者には、ボリュームを出す製品や髪型によって見た目を調整する方法もありますが、これは外観上の工夫であり、脱毛の原因を治療する方法とは区別します。
医療従事者は、抜け毛による心理的負担も軽視しないようにします。「季節のものなので心配ありません」と説明を終えるのではなく、何を根拠に経過観察できると考えたのか、どのような変化があれば再評価するのかを共有することが重要です。抜け毛が増える時期を把握する目的は、秋の脱毛を一律に正常とすることではありません。毛周期の時間差を踏まえて原因を探し、脱毛の分布や持続、頭皮所見に応じて、必要な診療へつなげることにあります。