

「授乳でちくびがヒリヒリする」という訴えは、乳頭の表面に生じる灼熱感、擦れる痛み、亀裂に伴う疼痛などを含みます。産後早期には授乳開始時の不快感を経験することがありますが、毎回強く痛む、授乳後も痛みが続く、亀裂や出血がある場合を「慣れれば治る」と扱うべきではありません。NHSは、授乳のたびに乳頭が痛む場合や、ひび割れ・出血がある場合に、助産師や授乳支援者へ早めに相談するよう案内しています。
参考)Sore or cracked nipples when b…
医療従事者が最初に行うべきことは、原因評価です。授乳姿勢だけで説明しようとせず、痛みの開始時期、左右差、痛む場所、持続時間、授乳・搾乳との関係を具体的に確認します。「吸い始めだけ痛い」「授乳中ずっと擦れる」「授乳が終わり冷えると焼けるように痛む」では、疑う機序が異なります。痛みを0~10で記録し、同じ尺度で再評価すると、介入前後の変化を追いやすくなります。
参考)https://abm.memberclicks.net/assets/DOCUMENTS/PROTOCOLS/26-persistent-pain-protocol-english.pdf
乳頭と乳輪は授乳前後の両方で観察します。発赤、亀裂、びらん、皮むけ、浸出液、黄色い痂皮、水疱の有無に加え、授乳直後に乳頭がつぶれているか、白く変化しているかを確認します。乳房についても、局所の圧痛、硬結、熱感、腫脹などを診察し、表面の皮膚症状と乳房内部の炎症を分けて考えます。
評価対象は母親だけではありません。児の体重増加、全身状態、口腔内所見、舌の動き、頭頸部の動かしやすさ、吸啜と嚥下の様子を確認し、実際の授乳を観察します。搾乳をしている場合は、本人が使用している搾乳器で、フランジの適合、吸引圧、使用時間、乳頭の擦れを確認することが重要です。
Academy of Breastfeeding Medicine(ABM)の2016年のProtocol #26は、2週間を超える授乳関連疼痛を持続性疼痛と定義しています。ただし、これは評価対象を整理するための定義であり、相談や治療を2週間待つ意味ではありません。同文書は、治療に関する研究が限られ、多くの管理方法が専門家の見解に基づくことも明記しています。古いプロトコルの薬物療法をそのまま適用せず、疾患別の情報と個々の母子の状態を踏まえて判断します。
ABM Protocol #26:持続する授乳関連疼痛の評価と鑑別
乳頭のヒリヒリ感は、機械的な刺激、皮膚炎、血管攣縮、感染症などで生じ、複数の原因が重なることもあります。たとえば、浅い吸着による乳頭損傷に、外用剤による接触皮膚炎が加わるケースです。痛みの表現だけで病名を決めず、経過と診察所見を合わせて判断します。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 浅い吸着・乳頭圧迫 | 授乳時に痛み、授乳後に乳頭の変形や亀裂を認める | 抱き方と吸着、吸啜の動きを直接観察する。 |
| 搾乳器による損傷 | 搾乳中に擦れる、痛む、乳頭や周囲に傷ができる | フランジの適合、吸引圧、使用時間を確認する。 |
| 湿疹・接触皮膚炎 | 発赤、かゆみ、皮むけ、びらん、浸出液などを伴う | 洗剤、母乳パッド、香料、乳頭用クリームなどの使用歴を確認する。 |
| 乳頭の血管攣縮 | 冷刺激や授乳後に灼熱痛があり、白色・紫色・赤色への変化を認める | 冷えとの関連、レイノー現象の既往、乳頭損傷を確認する。 |
| 表在性の細菌感染 | 治りにくい亀裂、浸出液、黄色い痂皮などを認める | 皮膚炎や損傷に合併することがあり、必要に応じて培養を検討する。 |
| 乳腺炎・膿瘍 | 乳房の発赤、熱感、腫脹、硬結、発熱や悪寒などを伴う | 発熱だけで細菌感染を断定せず、経過と全身状態を評価する。 |
浅い吸着では、乳頭が児の舌と口蓋の間で圧迫され、皮膚への負荷が増えることがあります。ただし、吸着不良の背景は抱き方だけではなく、乳房の張り、母乳の流れ、児の口腔形態、筋緊張、吸啜の協調性などさまざまです。舌小帯の形だけで原因を断定せず、舌の動きと授乳機能を評価する必要があります。舌小帯に特徴がある児すべてに授乳障害が生じるわけではありません。
接触皮膚炎では、本人が「傷を治そう」と追加したケア用品が刺激源になっている場合があります。ABM Protocol #26では、母乳パッド、洗濯用洗剤、柔軟剤、香料、乳頭痛用クリームなどを刺激性接触皮膚炎の誘因として挙げ、ラノリンや一部の外用抗菌薬などをアレルギー性接触皮膚炎の誘因として挙げています。保湿剤も一律に推奨せず、塗布後に赤みやかゆみが増えていないか確認します。
また、「焼けるように痛むからカンジダ」と即断しないことが重要です。2016年のABM Protocol #26でも、カンジダと乳頭・乳房痛の関連には議論があるとされています。2022年のProtocol #36は、乳房内部の「カンジダ乳腺炎」という診断を支持する科学的根拠はないとしています。皮膚や児の口腔の感染評価と、乳房深部痛の原因評価を混同せず、症状だけを根拠に抗真菌薬を開始・継続することは避けます。
乳頭への機械的な負荷が疑われる場合は、実際の授乳を見ながら、母親と児が無理なく姿勢を保てているか、児が十分に口を開けて吸着しているか、乳頭が強く圧迫されていないかを確認します。助産師などの授乳支援者が抱き方と吸着を調整し、調整後の痛みと乳頭の形を再評価します。傷に何を塗るかだけでなく、傷を繰り返す負荷を減らすことが中心になります。
参考)Sore nipples - Breastfeeding -…
乳頭用クリームを使う場合は、皮膚所見と使用歴に合わせて選択します。湿疹が主体なら刺激源の除去と皮膚炎の治療が必要であり、感染が疑われる場合は別の評価が必要です。「保湿すればすべて治る」「消毒すれば感染を防げる」といった一律の説明は適切ではありません。乳頭を塩水に長時間浸す方法も、ABM Protocol #36では、乳頭損傷や疼痛に対する一般的な創傷ケアとして支持されていません。
直接授乳が強く痛む場合には、搾乳によって母乳を確保する選択肢があります。ただし、搾乳自体が痛みや損傷の原因になっていれば、方法の調整が先に必要です。授乳を休む間の搾乳は、児が必要とする量と通常の授乳パターンを踏まえて計画し、「乳房を空にする」目的で繰り返さないようにします。過剰な乳汁除去は分泌過多を助長し、浮腫や炎症を悪化させることがあります。
医療従事者の説明では、単に「もっと深くくわえさせて」と伝えるよりも、授乳場面を一緒に確認し、変更前後の痛みを本人に尋ねることが大切です。乳頭の傷が改善しても痛みが残る場合は、同じ指導を繰り返すのではなく、皮膚炎、血管攣縮、接触で生じる痛みなどへ鑑別を広げます。
乳頭のヒリヒリ感に対して、温めるか冷やすかを一律に決めることはできません。血管攣縮では、授乳後や寒い環境で乳頭が白くなり、紫色や赤色への変化とともに灼熱痛が生じることがあります。この場合は乳頭を冷やさず、授乳後に穏やかに保温する対応が推奨されます。症状が続く場合には、医師が血管攣縮の治療薬を検討します。
一方、乳房の熱感や腫脹を伴う炎症では、冷却が疼痛や浮腫の軽減に用いられます。ABM Protocol #36は、乳腺炎スペクトラムの症状緩和に冷却や抗炎症薬を挙げています。つまり、「乳頭の血管攣縮には冷刺激を避ける」「乳房の炎症性腫脹には冷却を検討する」という違いがあります。痛みの場所と機序を整理して説明する必要があります。
乳房にしこりや張りがあるときも、強いマッサージで押し流そうとしないことが重要です。ABM Protocol #36は、深い乳房マッサージが炎症、組織の浮腫、微小血管損傷を増やすとして避けるよう推奨しています。乳頭の白斑についても、表面を開ける操作は損傷と乳管の狭窄を悪化させるおそれがあります。痛みのある部位を強く押す指導や、白斑を自己処置する説明は避けます。
鎮痛については、ABM Protocol #36でアセトアミノフェンやイブプロフェンが挙げられています。ただし、記事に記載された海外の投与量をそのまま患者へ指示するのではなく、本人の既往歴、アレルギー、併用薬などを確認し、国内の製剤情報と処方判断に基づいて選択します。痛みを軽減することと、乳頭を傷つける原因を修正することは並行して行います。
外用ステロイド、抗菌薬、抗真菌薬なども、所見に応じて使い分けます。乳頭・乳輪への外用では児が口で接触するため、製剤、塗布方法、授乳前の扱いを確認して具体的に説明する必要があります。発赤や灼熱感があるという理由だけで複数の薬を重ねるのではなく、診断と治療反応を再評価します。乳腺炎についても、発熱は炎症だけで生じる場合があり、すべてに抗菌薬が必要とは限りません。
ABM Protocol #36:乳腺炎の病態と管理、2022年改訂
毎回の授乳で乳頭が痛む、亀裂や出血がある、吸着を調整しても改善しない場合は、早期に助産師外来や授乳相談、必要に応じて医師の診察につなげます。表面の傷だけでなく、皮膚炎や感染、血管攣縮などが併存していないかを評価します。母親には、痛みを我慢して授乳を続けることを前提にせず、負担を減らしながら栄養方法を調整できると説明します。
乳房の発赤、熱感、腫脹、硬結に、発熱や悪寒などが加わる場合は乳腺炎を考えます。症状が悪化する、あるいはセルフケアをしても24時間程度で改善が始まらない場合は、医療機関への相談が必要です。強い全身不調、めまい、意識の混乱などを伴うときは、重症感染の可能性もあるため緊急に評価します。「授乳中にはよくあること」として様子見を長引かせないことが大切です。
参考)https://www.breastfeedingnetwork.org.uk/wp-content/uploads/2022/12/BfN-Mastitis-Leaflet-December-22.pdf
しこりが増大する、局所の腫れや痛みが続く場合には、膿瘍などを評価します。膿瘍では、発熱がいったん落ち着いても局所病変が残ることがあり、熱がないことだけでは否定できません。超音波検査などで液体貯留を確認し、膿瘍と診断した場合には排膿を含む治療が必要です。抗菌薬治療を開始して48時間たっても改善しない細菌性乳腺炎では、乳汁培養などによる再評価が検討されます。
乳頭や乳輪に強い痛みを伴う集簇した水疱や潰瘍がある場合は、単なる擦れだけでなく単純ヘルペス感染などを考えます。乳房・乳頭のヘルペス病変は児への感染リスクがあり、通常の細菌性乳腺炎と同じ授乳継続方針にはできません。病変を児に接触させず、速やかに診察を受け、患側の直接授乳と搾乳した母乳の扱いについて指示を受けます。
片側だけの乳頭湿疹が通常の治療に反応せず長引く場合や、乳頭病変に腫瘤を伴う場合も、皮膚炎と決めつけず専門診療につなげます。ABM Protocol #26は、片側の進行する乳頭湿疹が3週間を超えて続く、通常の治療に反応しない、触知する腫瘤を伴う場合に、乳房パジェット病を疑う所見として挙げています。この期間は受診を待つ指示ではなく、非典型的な経過を見逃さないための目安です。
フォローでは、母親の痛みと乳頭所見だけでなく、児の体重増加、哺乳の様子、母親の睡眠や気分、希望する栄養方法を再確認します。授乳関連疼痛は心理的な負担とも関連するため、本人の苦痛を否定せず、必要な支援を調整します。「授乳 ちくびヒリヒリ」という身近な訴えに対しても、授乳場面の観察、鑑別に沿ったケア、悪化時の受診案内、再評価を組み合わせることが、母子双方を支える臨床対応になります。