


「左あばら下 痛み」は、解剖学的には左季肋部から左上腹部、左側腹部、時には左胸部下縁までを指すことが多い表現です。この領域には胃、膵臓の体尾部、脾臓、左腎・尿管、結腸脾彎曲部、小腸が位置し、横隔膜、肋間筋、肋骨、胸膜、左下葉肺なども痛みの発生源になり得ます。さらに、心筋虚血、心膜炎、大動脈疾患などの胸部・血管疾患が上腹部痛や左季肋部痛として認識される場合もあります。
そのため、部位のみから「脾臓の痛み」「胃の痛み」と断定することは適切ではありません。急性左上腹部痛では、消化器、泌尿器、胸部、筋骨格、皮膚・神経疾患を横断した鑑別が必要です。特に、腹腔内臓器由来の痛みは局在が明瞭でないことがあり、横隔膜や胸膜への刺激は肩や背部に関連痛を生じることがあります。左上腹部痛では、病歴、身体診察、検査所見を組み合わせて評価し、原因が明らかでない場合には造影CTが検討されます。
参考)https://www.aafp.org/afp/2023/0600/acute-abdominal-pain-adults
問診では、突然発症か徐々に始まったか、持続痛か疝痛か、食後・飲酒後・深呼吸・咳・体位変換・運動で変化するかを確認します。加えて、外傷、抗凝固薬または抗血小板薬の使用、飲酒量、胆石や膵炎の既往、消化性潰瘍、腎結石、便通異常、妊娠可能性、感染徴候などは診断の方向性を大きく左右します。
筋骨格系では、肋間筋の過伸展、打撲、肋骨骨折、肋軟骨炎、肋間神経痛などが候補です。咳、運動、重い物を持つ動作を契機とし、疼痛が体動や胸郭の回旋、深吸気、咳で増悪し、限局した圧痛を伴う場合には筋骨格性疼痛を考えます。ただし、圧痛があることだけで腹腔内疾患や胸部疾患を完全に除外することはできません。
消化器疾患では、胃炎、消化性潰瘍、胃食道逆流症、急性膵炎、膵腫瘍、大腸憩室炎、虚血性腸炎、便秘・腸管ガス貯留などが鑑別に入ります。上腹部から左季肋部の痛みが食事と関連する場合には胃・十二指腸疾患を考えますが、急性膵炎では持続する上腹部痛や背部への放散、悪心・嘔吐がみられることがあります。脾臓については、外傷後の脾損傷、脾梗塞、脾腫、感染症や血液疾患に関連する脾腫大などを念頭に置きます。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 筋骨格・神経性 | 体動、深呼吸、咳、局所圧迫で再現・増悪する痛み | 打撲、運動、咳嗽後、帯状疱疹前駆期も確認する |
| 胃・食道性 | 食後痛、胸やけ、心窩部不快感、悪心、黒色便 | NSAIDs、飲酒、消化性潰瘍歴、貧血所見を確認する |
| 膵・脾臓性 | 持続する上腹部痛、背部痛、嘔吐、外傷後の増悪 | 膵炎、脾損傷・脾梗塞は重症化を念頭に迅速評価する |
| 腎・尿路性 | 側腹部から鼠径部へ移動する疝痛、血尿、排尿症状 | 尿路結石、腎盂腎炎、閉塞を鑑別する |
| 心肺・血管性 | 息切れ、冷汗、胸部圧迫感、呼吸痛、失神、背部痛 | 急性冠症候群、肺炎、肺塞栓、大動脈疾患を除外する |
泌尿器疾患では、尿路結石による疝痛発作、腎盂腎炎、尿路感染症などが左側腹部・左季肋部付近の痛みとして現れます。尿路結石では落ち着かず体位を変える強い疝痛、血尿、悪心・嘔吐を伴うことがあり、発熱を合併する場合は閉塞性腎盂腎炎を含む緊急病態の評価が必要です。左上腹部痛の鑑別には腎結石、胃炎・胃潰瘍、膵炎、肺炎や心膜炎など、腹部以外の病態も含まれます。
左あばら下の痛みで最初に重要なのは、疾患名を自己判断することではなく、時間依存性の高い病態を取りこぼさないことです。突然発症した耐え難い痛み、急速に悪化する痛み、板状硬や反跳痛を伴う腹膜刺激症状、意識障害、失神、冷汗、頻脈、血圧低下、呼吸困難、チアノーゼなどがある場合は、急性腹症、出血、心肺・血管疾患を考え、救急要請または救急外来受診を優先します。
厚生労働省は、突然の激しい腹痛、激しい腹痛の持続、吐血、血便または黒色便を「迷わず119」を検討する症状として提示しています。救急車を呼ぶべきか判断に迷う場合、実施地域では救急安心センター事業の電話相談「#7119」で、医師・看護師等が緊急性や受診の必要性を案内します。
参考)厚生労働省|こんな時は迷わず119へ
厚生労働省|こんな時は迷わず119へ
なお、高齢者、免疫抑制状態、糖尿病、透析患者、悪性腫瘍治療中、妊娠中・産褥期などでは、典型的な所見に乏しくても重症感染症、虚血、出血が進行していることがあります。痛みの強さが軽く見えても、バイタルサインの変化、全身状態の悪化、経口摂取不良、尿量減少を軽視しないことが重要です。
医療機関では、まずバイタルサイン、意識状態、皮膚冷感、発汗、末梢循環を評価し、ショックや敗血症を示す所見がないかを確認します。腹部診察では、疼痛の最強点、圧痛、筋性防御、反跳痛、腸蠕動音、腫瘤の有無をみます。胸部診察では呼吸音の左右差、胸膜摩擦音、ラ音、胸郭圧痛を確認し、皮膚では帯状疱疹の紅斑・小水疱、皮下出血、外傷痕を観察します。
検査は、疑う疾患と重症度に応じて選択します。血算、CRP、電解質、腎機能、肝胆道系酵素、血糖、リパーゼまたはアミラーゼ、乳酸、尿検査、妊娠反応などが候補です。胸部症状や冠動脈疾患リスクがある場合には、心電図、心筋トロポニン、胸部画像の評価が必要になります。発熱と側腹部痛では尿検査・尿培養、血液培養、閉塞の有無を意識した画像検査を検討します。
画像検査は、病態によって使い分けます。腹部超音波は、腹水、脾腫、腎盂拡張、腎・尿路系、胆道系、腹部大動脈、婦人科領域の評価に役立ちます。外傷、脾疾患、膵炎合併症、腸管虚血、穿孔、膿瘍、尿路結石などを広く評価する必要がある場合には、造影CTまたは非造影CTを含むCTが診断に有用です。左上腹部痛で診断が不明確な場合、静脈内造影を用いた腹部・骨盤CTは適切な検査選択肢とされています。
参考)Preview
緊急性を示す症状がなければ、初診窓口は内科または消化器内科が基本です。食後の痛み、胃もたれ、吐き気、黒色便、飲酒後の持続痛、背部痛がある場合には消化器内科を優先します。尿の濁り、血尿、排尿痛、側腹部から鼠径部に移動する痛みがある場合は泌尿器科または救急外来が選択肢です。咳、呼吸痛、発熱、息切れを伴う場合には内科・呼吸器内科、胸部圧迫感や冷汗を伴う場合には救急外来での評価が必要です。
明確な打撲や運動負荷後で、局所圧痛が主体、呼吸困難や発熱、腹部症状がなく、痛みが軽快傾向にある場合には整形外科的評価が考えられます。ただし、外傷後の左季肋部痛では脾損傷が隠れることがあるため、痛みの増悪、めまい、失神、腹部膨満、肩への放散痛などがあれば、筋肉痛とみなして経過観察を続けないことが重要です。
自己判断での鎮痛薬使用にも注意が必要です。NSAIDsは胃・十二指腸粘膜障害や消化管出血のリスクを高める可能性があり、消化性潰瘍や腎機能低下、抗凝固薬使用中の患者では特に慎重な判断が求められます。強い腹痛、発熱、反復する嘔吐、血便・黒色便、呼吸困難を伴う場合には、食事や飲酒を続けたり、市販薬で症状を隠したりせず、速やかに医療機関へ相談します。左あばら下の痛みは頻度の高い筋骨格性疼痛から緊急性の高い腹部・胸部疾患まで幅広いため、疼痛部位だけでなく、発症状況と全身症状を組み合わせて評価する姿勢が重要です。