

高齢者肺がんの診療で重要なのは、「高齢だから治療できない」と一律に判断しないことです。同じ年齢でも、日常生活の自立度、臓器機能、認知機能、併存疾患、家族の支援状況には大きな個人差があります。日本肺癌学会の「肺癌診療ガイドライン2025年版」では、非小細胞肺癌について75歳以上を高齢者と定義しています。ただし、この年齢は診療上の検討対象を整理するための区分であり、手術や薬物療法を中止する境界ではありません。
参考)肺癌診療ガイドライン2025年版
同ガイドラインが引用する全国がん登録の2019年罹患データでは、肺癌の罹患年齢のピークは75~79歳で、患者の約半数が75歳以上でした。この数値は2019年の登録データに基づくものであり、現在の罹患割合を示す数値として扱うべきではありません。一方で、高齢者肺がんが一部の特殊な症例ではなく、日常診療の中心的な課題であることを理解する根拠になります。
診療の出発点は、肺がんを非小細胞肺がんと小細胞肺がんに区別し、病期と全身状態を確認することです。非小細胞肺がんでは、早期の切除可能例に対する手術、手術が難しい場合の放射線治療、局所進行例に対する化学放射線療法、進行例に対する薬物療法などを検討します。小細胞肺がんでは治療体系が異なるため、非小細胞肺がんの高齢者向け推奨をそのまま当てはめることはできません。
参考)肺がん
また、高齢者を対象とする治療のエビデンスには限界があります。従来の国内臨床試験では75歳以上が除外されることも多く、試験に参加した高齢患者が実臨床の患者全体を代表しているとは限りません。研究結果を読む際には、年齢の上限だけでなく、PS、臓器機能、併存疾患などの適格基準を確認し、目の前の患者との違いを検討する必要があります。
日本肺癌学会:肺癌診療ガイドライン2025年版・Ⅳ期非小細胞肺癌
高齢者肺がんでは、ECOG Performance Status(PS)だけで治療への耐容性を判断しないことが重要です。PSは活動性や介助の必要度を把握する指標ですが、服薬管理の難しさ、認知機能の低下、栄養問題、社会的孤立などを十分に捉えられるとは限りません。ASCOの2023年ガイドライン更新では、65歳以上のがん患者に対して老年医学的評価(Geriatric Assessment:GA)を用い、通常の腫瘍学的評価では見落とされやすい脆弱性を把握することが推奨されています。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| PS | 活動性、歩行、セルフケア、日中の臥床時間を確認する。 | PSだけで認知機能や生活上の脆弱性を判断しない。 |
| 身体機能・生活機能 | 移動、食事、更衣などの基本的生活動作と、服薬や買い物などの生活管理を評価する。 | |
| 認知機能 | 治療説明の理解、予定の把握、服薬管理、意思決定に関する問題を確認する。 | |
| 栄養 | 食事摂取、体重減少、咀嚼・嚥下の問題などを確認する。 | |
| 併存疾患・多剤併用 | 既往歴、持病の状態、処方薬と使用中の薬剤を整理する。 | 治療選択と薬剤管理に反映する。 |
| 心理・社会的支援 | 不安、抑うつ、介護者、通院や在宅生活の支援状況を確認する。 | 治療を実行できる環境も含めて計画する。 |
例えば、外来では歩行可能でPSが良好に見える患者でも、食事の準備や内服薬の管理に支援を必要としている場合があります。このような問題を「治療を受けられない理由」として即座に扱うのではなく、食事支援、服薬方法の整理、家族や地域サービスとの連携によって補えるかを検討します。GAは治療から患者を除外するためだけの評価ではなく、患者に合った診療を組み立てるための評価です。
参考)Geriatric Oncology Resources -…
ASCO:高齢がん患者の老年医学的評価に関する資料
高齢者肺がんの治療では、根治を目指せる病状なのか、進行を抑えながら症状や生活の質を保つことが主な目標なのかを明確にします。非小細胞肺がんのⅠ期・Ⅱ期では手術が標準治療ですが、基礎疾患や臓器機能の低下によって重い合併症の危険が高い場合には、手術以外の治療を検討します。年齢だけではなく、がんの広がりと手術の負担を総合して判断することが基本です。
参考)肺がん 非小細胞肺がん 治療:[国立がん研究センター がん情…
患者説明では、「手術ができない」と「根治を目指す治療がない」を区別する必要があります。手術が難しくても、病期や身体の状態によっては根治目的の放射線治療を検討できます。一方、化学放射線療法などの複合的な治療では、単一の治療より負担が増えるため、期待する効果と治療を完遂できる見込みを併せて説明します。
治療選択の説明では、選択肢の名前だけを列挙するのではなく、治療の目的、必要な通院、想定される合併症、生活への影響を関連づけることが大切です。高齢者の診療では社会的支援も評価対象に含まれるため、医学的に実施可能な治療であっても、通院や在宅での管理を支える体制を確認してから計画へ落とし込みます。
進行非小細胞肺がんの薬物療法では、「高齢者には単剤療法」という固定的な考え方を避け、腫瘍の特徴と患者の状態を組み合わせて判断します。日本肺癌学会の2025年版ガイドラインでは、まずドライバー遺伝子異常を検索し、陽性の場合には対応する分子標的療法を適切なタイミングで検討することを重視しています。陰性の場合は、PD-L1発現や免疫チェックポイント阻害薬を避けるべき条件などを踏まえて治療を選びます。
高齢者における分子標的療法の検討として、75歳以上のEGFR遺伝子変異陽性進行非小細胞肺癌を対象とした国内第Ⅱ相試験NEJ003では、ゲフィチニブ単剤の客観的奏効率は74%、無増悪生存期間中央値は12.3カ月でした。ただし、これは特定の遺伝子異常を持つ患者に対する、2012年に報告された試験の結果です。高齢者肺がん全体の治療成績や、現在の第一選択薬を一律に示す数値ではありません。
EGFR遺伝子変異のうちエクソン19欠失またはL858R変異があり、PS 0~1の場合、2025年版ではオシメルチニブ単剤療法に加え、ラゼルチニブとアミバンタマブの併用、オシメルチニブとプラチナ製剤・ペメトレキセドの併用が強く推奨されています。しかし、併用療法では重い有害事象の頻度が高いことも示されています。成人患者全体に対する推奨を、フレイルな高齢者へそのまま適用できるわけではなく、併用による利益と負担を個別に比較する必要があります。
また、PS不良という理由だけで分子標的療法の可能性を否定してはいけません。同ガイドラインでは、エクソン19欠失またはL858R変異陽性でPS 2~4の症例に対して、毒性を考慮したうえでEGFR-TKI単剤療法が強く推奨されています。一方、PS不良例を対象とした試験では間質性肺疾患も報告されているため、「内服薬だから安全」「抗がん薬より負担がない」と説明することは不適切です。
免疫チェックポイント阻害薬についても、PD-L1高発現だけで治療を決めないことが重要です。ドライバー遺伝子異常の有無やPS、薬剤ごとの適応条件を確認し、単剤と併用療法の効果・毒性を比較します。高齢者に対する治療を判断するときは、臨床試験全体の成績と高齢者集団のデータを区別し、研究の対象患者と実際の患者の違いを明確にする必要があります。
小細胞肺がんについては、2025年版ガイドラインで、PSが良好な75歳以上の患者に対する一次治療として、プラチナ製剤併用療法や、それにPD-1阻害薬を併用する治療が選択肢とされています。ただし、該当する高齢者への推奨ではエビデンスの強さがDと評価されており、若年者を含む集団の治療成績から確実性を過大評価しない姿勢が必要です。
高齢者肺がんにおける緩和ケアは、抗がん治療を行わなくなった後だけに提供する医療ではありません。国立がん研究センターは、緩和ケアはがんと診断されたときから始まり、治療とともに受けられると説明しています。痛みや息苦しさ、気持ちの落ち込みなどがある場合には、病期にかかわらず支援につなぐことが重要です。
参考)緩和ケア:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方…
治療目標も、生存期間の延長だけに限定せず、患者が何を大切にしているかを確認して設定します。「自宅で生活したい」「身の回りのことを自分で続けたい」「家族との時間を確保したい」といった希望は、治療選択を検討するための具体的な情報になります。GAは患者とのコミュニケーション、治療の意思決定、ケア管理を導くための評価とされており、生活背景を医学的評価から切り離さないことが求められます。
積極的な抗がん治療の負担が利益を上回ると判断される場合でも、症状緩和や生活支援は継続します。「治療しない」という表現だけでは、患者や家族が見放されたと受け止める可能性があるため、何を控え、どのような苦痛に対して医療を続けるのかを具体的に説明することが大切です。緩和ケアは終末期だけの対応ではなく、診断早期から患者と家族を支える診療です。
本記事は、日本肺癌学会の肺癌診療ガイドライン2025年版、ASCOの高齢者評価に関する資料、国立がん研究センターの公開情報を基にした医療従事者向けの概説です。個別症例では、対象となる組織型、病期、遺伝子異常、PSに対応する推奨本文を確認し、最新の承認内容と施設の診療体制を踏まえて判断してください。