

「ALSの原因は食べ物なのか」という疑問に対して、医療従事者が最初に伝えるべきことは、特定の食べ物を患者個人の発症原因と断定できる段階にはない、という点です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)は運動ニューロンが障害され、筋力低下や筋萎縮が進行する疾患です。米国国立神経疾患・脳卒中研究所(NINDS)は、原因が十分に解明されていないことを説明しています。食事に関する研究はありますが、「これを食べたために発症した」と結論づけることはできません。
参考)Amyotrophic Lateral Sclerosis …
ALSの病態には、遺伝的要因に加え、酸化ストレス、神経炎症、ミトコンドリア機能障害、グルタミン酸による興奮毒性など、複数の機序が関係すると考えられています。ただし、病態に関わる仕組みが示されたことと、日常生活で口にする特定の食品が発症原因として証明されたことは別です。国内の難病情報センターも、原因遺伝子や孤発性ALSの病態仮説を説明しており、単一の食材で病気全体を説明する整理にはなっていません。
参考)Checking your browser - reCAPT…
患者さんや家族が「毎日食べていたものが悪かったのではないか」と尋ねた場合は、食事歴を否定するのではなく、「食事との関係を調べる研究はありますが、あなたの食生活が原因だったとは判断できません」と説明するのが適切です。これは研究の可能性を否定せず、現在の知見の限界を明確にする伝え方です。原因が十分に分かっていない疾患について、根拠の乏しい原因食品リストを示すことは避ける必要があります。
参考)https://www.ninds.nih.gov/sites/default/files/migrate-documents/ALS_FactSheet-E_508C.pdf
NINDS:筋萎縮性側索硬化症の概要
難病情報センター:筋萎縮性側索硬化症の診断・治療に関する情報
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| グルタミン酸による興奮毒性 | 神経系における過剰な興奮性シグナルが神経障害に関与するという病態の議論です。 | 食品中のグルタミン酸やうま味調味料の通常摂取が、ALSを引き起こすという証明とは異なります。 |
| グルタミン酸ナトリウム(MSG) | 米国食品医薬品局(FDA)は、食品への添加について一般に安全と認められるものとして扱っています。 | 食品成分の安全性評価と、ALSの病態機序を混同しないことが重要です。 |
| BMAAと魚介類 | シアノバクテリアが産生する神経毒性アミノ酸BMAAについて、食品を介した曝露とALSとの関連が研究されています。 | |
| 脂質・果物・コーヒーなど | 食事調査や遺伝情報を用いた解析で、ALS発症リスクとの関連が検討されています。 | |
| 発症後の栄養摂取 | 体重減少、食事量低下、嚥下障害などに応じて、食事内容や栄養補助を調整します。 | 発症リスクを調べる研究と、発症後の栄養療法は目的が異なります。 |
グルタミン酸については、とくに説明の整理が必要です。ALSの病態として語られる「グルタミン酸毒性」を、そのまま「グルタミン酸を含む食品は危険」と読み替えることはできません。FDAはMSGの食品への添加を一般に安全と認めており、通常量の摂取に関する評価と、神経系で生じる病的な現象は区別すべきです。「神経伝達物質と同じ名前の成分だから食べない」という説明には飛躍があります。
発症後の食事支援では、原因と疑われる食品を探すことよりも、十分な栄養と水分を安全に確保できているかを評価します。ALSでは咀嚼・嚥下の問題だけでなく、上肢筋力低下による食事動作の困難、呼吸機能低下、食欲低下なども摂取量の減少に関わります。2024年の欧州神経学会(EAN)ガイドラインは、体重減少や食事・水分摂取低下の原因を評価するよう推奨しています。
問診では、体重の推移に加え、食事にかかる時間、食事中の疲労、むせや飲み込みづらさ、避けるようになった食品を確認します。ALSの栄養支援資料でも、体重減少、食事時間の延長、咀嚼時の疲れ、食物や飲料での咳・窒息感などは、医療チームへ相談する兆候として挙げられています。摂取量の不足を本人の食欲だけの問題として扱わず、動作や嚥下の負担を含めて評価することが大切です。
参考)https://alsnetwork.org/wp-content/uploads/2024/06/ALS-Nutrition-ALS-Network.pdf
対応は、食事回数を分ける、少量でもエネルギーを確保できる食品を組み合わせる、栄養補助食品を利用する、姿勢や食具を調整するといった複数の方法から検討します。EANガイドラインは、体重減少や嚥下困難がある場合に、管理栄養士、言語聴覚士、作業療法士などへ相談し、食事の組成・形態・頻度、水分の性状、窒息リスク、姿勢などについて助言を受けることを勧めています。
食形態についても、単に「軟らかいものなら安全」とは限りません。難病情報センターは、軟らかく水分があり、粒が混ざらない滑らかな食べ物などの工夫を紹介しています。一方、実際に適する形態やとろみの程度は、個々の嚥下状態に合わせる必要があります。乾燥して崩れやすい食品や硬い食品などへの対応も含め、本人が食べやすいという感覚と専門職による評価を組み合わせます。
胃瘻などの経管栄養については、食事がほとんど取れなくなってから初めて話すのではなく、早い段階から選択肢として共有します。EANガイドラインは、嚥下能力、体重減少、呼吸機能、食事の負担、窒息リスク、本人の希望を考慮し、胃瘻について早期から繰り返し話し合うことを推奨しています。栄養管理は摂取カロリーだけでなく、本人の価値観と生活の質を含む意思決定支援です。
EAN:ALSの診療・ケアに関する2024年ガイドライン
難病情報センター:ALSの食事・栄養と療養情報
患者さんから「うま味調味料を使っていたからですか」「魚をよく食べていたのが原因ですか」と質問された場合は、まず何を見聞きして不安になったのかを確認します。そのうえで、「ALSでは複数の病態や要因が研究されていますが、今の知見から、あなたが食べていた食品を原因と決めることはできません」と説明します。グルタミン酸の病態研究やBMAAの曝露研究については、食品を原因と断定する根拠とは区別して伝えます。
また、食事に関する不安への対応と、実際の栄養評価を同時に進めます。すでに体重が減っている、食事に時間がかかる、飲み込む際にむせるといった問題があれば、原因食品の議論より優先して評価する必要があります。食事内容の変更を希望する場合も、除去する食品の代わりに必要なエネルギーや栄養素を確保できるかを管理栄養士と確認し、嚥下の問題があれば言語聴覚士などにつなげます。
医療従事者が提供する情報は、「特定の食品を食べなければALSを予防できる」「この食事で進行を止められる」といった断定を避け、研究段階の知見と診療上の推奨を分けることが基本です。現在の食事支援で重視されるのは、患者さんの栄養状態と嚥下機能を継続的に評価し、本人が納得できる方法で食べることと栄養確保を支えることです。原因を探す不安に向き合いながら、根拠に基づく具体的なケアへ結びつける姿勢が求められます。

実験医学 2020年8月Vol.38 No.13 RAN翻訳と相分離で紐解く リピート病〜くり返し配列の“長さ"が発症の原因となる謎に挑む